般若心経の会に参加した
タイトルだけ見るとあやしさいっぱいですねw
知り合いのおぼーさんが般若心経について講座を開くということなので、二時間半?ぐらいですが品川までいって受講させていただきました。
もう、あれね。
40前の女が仏教とかにハマるとか、
ほんと痛々しいよねwww
はい、わかってますw
私はもともとこういうのが、好きなんです!!
中学高校とカトリックで大学では西洋哲学専攻して、若い頃からこじらせてきた奴をなめんな!!ww
初めて自分の金で行った大きなコンサートはバッハのマタイの受難曲だよ!ミサ曲だよ!!
行く前に学校配布の聖書のマタイの福音全部読んでいったよ!!
痛い歴今に始まったとこじゃないんだわ、なめんな!!www
ということで、
般若心経の講座に参加しました(二回目)。
四国遍路するようになってお経をとなえる機会は増えてたので、自分が何を言ってるのか知りたかったんです。
もちろん般若心経読み解く系の本を読んだことはあるけど、ほうほうなるほど。で頭に特に残らずに終わってしまってた。
このお坊さんは私がもっとも信頼する方なので、
この方の解釈?考え方みたいのが聞きたかったんです。
般若心経は読み解くということは一切せず、
向き合い方とか音の響かせ方みたいのを教えてくれた。
私はこの方の言う、般若心経は読み解くとかじゃなくてそれ自体が呪文って考え方が好きだ。
人の言葉で説明したとたんに矮小化するという考え方が好きですね。
仏教に触れていると、考え方とかスタンスとか、キリスト教に似てる部分が多分にあって興味深いです。
キリスト教のお祈りの仕方って「正しい行いや考え方ができるように導いてください」って祈るのがおおい。
主の祈りとかね。
仏教も願掛け地蔵とか願掛け系とかはあって、他願本力で何かをしてもらおうという考え方がおおいけど、全然ちがう。
講座の中で、
お経を唱えて、苦しいことも苦しいと思わなくなるほど悟れるようになりますようにってことなんだって思って、一緒だなあと思った。
要するに「私が悟れるようにお導きください」ってことでしょ。
キリスト教は学問や歴史として見た時にすごく興味深いし、西洋哲学の面から見てもキリスト教理解してないと日本人ではわからないことが多い。
歴史的に西洋哲学とキリスト教は切っても切り離せないのでキリスト教のポジションやキリスト教の教えなどさわりだけでも理解してないと、西洋哲学の決定的な部分が理解できない。
でも、私は仏教のほうが、しっくりくるんだなあ。
一神教よりも多神教(神ではないが)のほうが日本人的には理解しやすいし、しっくりくるよね。
場所は品川の東京別院。
本堂素敵でした。
ひさしぶりにきちんとした所でお参りさせてもらってちょっと感動した。
こんなポスターあった。
おへんらーとしては見逃せないなっ。